2020年7月4日、未明から激しさを増した記録的豪雨は、熊本県南部を流れる球磨川を氾濫させ、橋をいくつも流失させた。人吉市は市街地の広い範囲が水に浸かり、中心部にかかる人吉大橋も激しい濁流でほとんど姿が見えなくなった。だが、その橋に設置された水位計は豪雨時も水没せず、水位を正しく測定できたと、国土交通省は説明している。疑問を抱いた地元の市民団体が、生々しい写真や動画を次々に突きつけても、説明を変えていない。
問題になっているのは「危機管理型水位計」と呼ばれる、洪水時の観測に特化した低コストな水位計。人吉大橋には19年に設置された。水面に向けて照射した超音波の反射波をセンサーでとらえる「超音波式」というタイプで、橋の中央付近の路面とほぼ同じ高さに、下流側へ約1メートル突き出る形で据え付けられている。水没すれば原理的に測定できない。
水位は、川の流量を知るための基本データ。しかも、人吉市は河川法に基づく河川整備計画を立てる際の基準地点だ。
本来の観測点である国の「人吉水位観測所」は人吉大橋の約700メートル上流にあるが、激しい水位上昇で午前8時半以降、欠測になった。その代わりに、危機管理型水位計の方で正しく観測できたと国は説明。午前9時50分にピークになった観測値のグラフを、豪雨から1カ月半後の8月25日に開いた豪雨検証委員会の初会合で示した。
人吉大橋が濁流をかぶった姿は多くの住民が目撃している。当初から「本当に正しく計測できたのか」と疑問の声は出ていたが、だれもが被災後の生活再建に忙しく、問題にはならなかった。
急浮上したダム必要論 疑念に火を付けた「しぶき水」
球磨川流域では、最大支流の上流部で1966年に浮上した川辺川ダム計画をめぐり、住民が激しく分断されてきた歴史がある。2008年に熊本県の蒲島郁夫知事が「白紙撤回」を表明し、国交省もダム本体工事を09年に中止。分断はおさまっていた。
そこに襲いかかったのが、20年7月の記録的豪雨。直後からダム必要論が急浮上した。国交省は10月6日の豪雨検証委員会の第2回会合で、水位のデータも踏まえて豪雨時の人吉市のピーク流量を毎秒約7400トンと算出。「もし川辺川ダムがあれば、人吉市周辺の浸水面積は6割少なくなった」との推計を公表した。
翌月、蒲島知事は12年前の白紙撤回を覆し、ダム容認に転じた。「ダムがあったら命は救えたのか」「犠牲者の亡くなった状況やあふれた水の流れ方をきちんと検証すべきだ」などと訴える住民の声をよそに、国交省と熊本県は、川辺川ダムの「復活」を新たな治水の柱に掲げ、河川整備計画づくりを急ピッチで進めた。
疑問が再燃したのは、今年8月9日。河川整備計画の策定当日だった。
国交省はこの日、「住民の疑問や不安に今後とも丁寧に答えていきます」として、八代河川国道事務所(熊本県八代市)のホームページに、37項目の「よくあるご質問」を新たに公開した。その中で人吉大橋の危機管理型水位計の問題をとりあげ、改めて「水没している状況ではなかった」と明記した。
根拠として、ピーク水位の計測値は水位計の標高より46センチ低く、計測可能範囲にある(水面がセンサーから約30センチ以上離れていれば水位を観測できる)▽橋の周辺の痕跡水位ともおおむね一致する▽計測値は連続的で、異常な動きがみられない▽豪雨後も機器に目立った外傷がなかった、などを挙げた。
説明文の中でとりわけ目をひいたのは、「しぶき水」だった。橋面を流れたのは、洪水流が橋桁にぶつかってできた「しぶき水」であって、水位計は下流側に張り出しているため「影響は受けていません」と断定した。
豪雨時の写真や証言を住民から丹念に集めて被災状況の調査を続けてきた市民団体「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」(人吉市)のメンバーは、これに反発。地元のつてをたどって、新たな「証拠写真」の掘り起こしに動いた。
ほどなく、豪雨当日に住民が撮影した写真や動画を探し当てた。濁流の水面は、高さ約1メートルの欄干の上部に達し、上流側から下流側までほぼ同じ高さを保っているようにみえる。下流側から水位計が設置されたあたりを撮影した写真も入手できた。
国の映像記録データベースの…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル